めざすのは、
宇宙でいちばんの
ラーメン屋。

決めた以上は、途中で止めない。

わたし、橋本龍八はずんどう屋を創業するまでサラリーマンとして働いていました。
転機が訪れたのは2001年11月23歳のとき、テレビのドキュメンタリー番組で関東の有名店中村屋さんの特集を見たことでした。
自分もラーメン屋をやろう!と決意し、翌日には本を買い、食材を揃え、自宅のコンロを改造してスープ作りを始めました。
同じ日に中村屋さんに電話でお願いし、すぐに車で7時間かけて会いに行きました。
自分が感動した人に一度会って話がしてみたい。ただその想いだけでした。
それからの橋本は、仕事が終わったあとに毎日ラーメンを食べ歩き、そこで使われている道具を調べて買いに行き、勉強と研究に没頭しました。
そして2002年4月4日、23歳のときにラー麺ずんどう屋本店(姫路市船丘町)をオープンさせました。
いまも、その当時の情熱と行動力をもちつづけて、日々、走り続けています。

ラーメンとは思っていません。作品なんです。

職人が技で、麺とスープをつくる。
キッチンスタッフが最高の状態に調理し、器に美しく盛りつける。
ホールスタッフが気持ちをこめて提供する。
わたしは、ラーメンは人がつくる“作品”だと考えます。
自信をもって“作品”と呼べるくらいのラーメンでなければ、お客さまの記憶に残り、数日後にまた食べたくなるものにはなりません。

完成はない。進化しかない。

時代が変われば、道具は進化し、新しい製法や食材も登場します。
それらをうまく使うことで、ラーメンの味はまだまだ進化できるはずです。
だから、ずんどう屋の味に完成はありません。
創業以来毎日、「もっとおいしくできないか?」ということを常に考え、ラーメンの味を少しずつ改良してきました。
食材選びや盛り付け、サービスなども同じで、いいと思うことはすぐに取り入れ、改善を繰り返してきました。
大切なのはラーメンのおいしさを守りつづけながら、進化すること。
そのためなら、どんなチャレンジでもしていきます。
これから先も、ずんどう屋のラーメンは進化しつづけていきます。

接客あっての、味なんです。

友だちとのランチに、飲み会帰りに、デートや記念日に…。
お客さまは日常のさまざまなシーンで、ラーメンを食べに来られます。その時間を演出する重要な要素として「接客」があります。
食べ物の味は、それを提供する人の接客によって大きく変わります。
だからずんどう屋では社員はもちろん、アルバイトの従業員まで、元気、笑顔、身だしなみ、活気をもっておもてなしすることを心がけています。
おいしい味と気持ちのいい接客があってはじめて、お客さまに「おいしい」と言っていただけるラーメンになります。

空間なんか、どうでもよくない。

おいしい味、気持ちのいい接客と同じように、それらを楽しむ空間もなくてならない大切な要素です。
だからずんどう屋では、店舗ごとにコンセプトとテーマを決めて店舗デザインをしています。
味、接客、空間、みっつが一緒になって、はじめて、ずんどう屋のおもてなしになります。

工場の技術がある、職人の技がある。

食の安全と安心、ラーメンのおいしさを一定に保つために、自社工場をもっています。
スープとチャーシューをつくる製造部は姫路と倉敷に3つの工場があり、職人が季節や天候にあわせて微調整しながら24時間交代で生産しています。
水と豚骨だけを使い、約20時間かけて炊きあげることで、ずんどう屋独特のおいしい「濃厚豚骨スープ」ができあがります。
こだわりの自家製麺を担当する生産部の製麺所は神戸・明石・岡山の店舗内にあり、ひと玉ひと玉ていねいに手作業でつくっています。
機械での効率化も大切ですが、味を決めるのは職人の技です。
職人の技と工場の技術が、ずんどう屋の味を支えています。

世界進出は、世界一の都市から。

いまやラーメンは日本のみならず、世界中の人々に愛される食べ物です。
海外でも日本のおいしいラーメンを楽しんでもらいたい。そんな想いから、2015年にニューヨーク店をオープンさせました。
気候や習慣などはちがっても、本当においしい食べ物は世界共通です。
“1杯のラーメンにだって、人を感動させることもできる”と、わたしは信じています。
いまはまだ1店舗ですが、目標は地球に1000店舗です。
世界中の誰に聞いても、「ラーメンといえばZUNDO-YA」と言われること。
それが橋本龍八の夢です。